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2006年08月12日

すんごい質問力7

キリストのすんごい質問力から学ぶ、対話のルール7

 

会議中日は、一日中教会への訪問者の嵐でした。

個人的相談、聖書の勉強、バプテスマ式準備、事務作業などなど。面談しにいらっしゃった方が6名。さらには、午後から行われていたミーティングにも、面談の合間を縫って顔を出す発言するような「話続ける」一日でした。

一人ずつの面談で、私も約一時間ぐらいづつしゃべるわけですから、夕方になった頃には喉も枯れてしまい、

まるで「ダンシング・オールナイト」で一世を風靡した、もんた&ブラザーズの、もんたよしのりみたいに、ガラガラ声になってしまったのです。

色々な人たちと「対話する」機会が多い私は最近、
その場の「雰囲気づくり」ってすごい大切だと
改めて思わされます。

すでに長い付き合いで、気心の知れている人なら、
いつものように、和やかな雰囲気で話せるのですが、

初めてお会いして話をするときは、
こちら側が緊張気味だと、相手も緊張するし、
こちらが元気なくトーンを低めに挨拶すると、
相手も暗い雰囲気になります。

特に、お互いのことをまだ良く知らないので、
何から話していいか分からず、話題も見つからずに、
「シーーーーーン。。。。」と微妙な雰囲気になってしまう。

 

そんなことってよくありませんか?

 

たとえ、明るく楽しい雰囲気で話ができる人であっても、
わたしが何か確信をついた質問すると、
とたんに口をにごして、

安心感なかなか「本音トーク」にならない方も多いんですね。

それは多分、まだお互いの信頼関係ができていないから、信頼してない人には、なかなか本音を語ることって難しいんだと思います。

「こんなことを言ったら、へんだと思われるんじゃないか?」
「他の誰かにベラベラと言いふらされたら大変だ。」
「どうせ、言っても、他人事としか思ってくれないかもしれない。」
等々。

例えば、
「この間、ご家族で旅行に行ってきたんですって?どうでした?」

「ええ、とっても楽しかったですよ。」

「そう、良かった。どんなところを見て周ったんですか?」

「まあ、色々とあちこち。」

「こんど、写真でも見せてくださいよ。」

「はあ、まだ現像には出していないので。」

「。。。。。。。」

ってな感じで、大まかな漠然とした答えしか返ってこないと、
とても寂しくなりますよね。
やっぱり、信頼関係が築かれていないと、
「不安」な雰囲気が漂ってしまうのです。


しかし、信頼関係さえ築かれれば、
そこには「安心感」という心地よい雰囲気が満ちます。

「この人なら、私の言うことをバカにして笑うことはないはず。」
「この人なら、私の言っている事を親身になって真剣にきいてくれる。」
「この人に話すなら、必ず口外せず、秘密は守ってくれる。」
というような、

ここは安全な場所だ。という「安心感」があれば、
人は本音で語りだすのです

あなたなら、どのようにしてそのような安心感を築きますか?

 

イエスさまは、町や村を巡り歩き、寝る暇もないぐらいに忙しく、
実にたくさんの人々と対話されました。

イエスさまとの対話を通して、人々の人生は劇的に好転していったのです。

イエスさまはいつも、人々に興味をもち、自分からアプローチをして話しかけました。ですから、徴税人や、罪人とレッテルを貼られて人々から軽蔑されていた人々であれ誰であれ、食事に招待して、一緒に食事をしながら、楽しくおしゃべりをしていたのです。


ザアカイあるとき、イエスさまはエリコという町を通りかかったときのことです。
「もしかしたら本当にメシアかも」という興味本位でか
有名人イエスさまをひと目見てみようと
木の上に座っていたザアカイに、
イエスさまは目を留めました

この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。

それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」(ルカ19:1-5)

背が低く、「不正に取り立てる徴税人」として、
周囲からさげすまれバカにされていたザアカイは
イエスさまの方から、自分に興味をもって声をかけてくれたことを
喜びました。

ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。(ルカ19:6)

↑ザアカイの心が開いた瞬間です!

これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」

↑こんな風に心の中で思っている人たちには絶対心は開かないでしょう!

自分が嫌われて陰口を叩かれていることは百も承知のザアカイは、
「イエスさまが自分の家に泊まりに来たら、
イエスさま自身も悪口を言われるかもしれないのに。」
と思ったかもしれません。

そのようなリスクを負ってまで、信頼して泊まりに来てくれたことに、
ザアカイは、これまでにない「喜び」と「安心感」を得ました。

「この人なら、何でも話せる!」

そして、

ザアカイは立ち上がって、主に言った。

「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」

「えぇーーーーーー!!!!?」っと、
一緒に食事をしていた、その場に居合わせた人たちは
食べていたものを、床に落とすぐらいビックリしたはずです

イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカ19:8-10)

ザアカイとイエスさまの間には、
大きな信頼関係が築かれました。

イエスさまは

「真実の対話」が生み出されるための

雰囲気作りの名人だったのです!

ナビゲーター:心のパテシエ♪角本尚彦


(C)2006 Naohiko Kakumoto. All rights reserved. 無断での引用・転載を禁じます<m(_ _)m>

2006年08月06日

すんごい質問力6

キリストのすんごい質問力から学ぶ、対話のルール6

前にもお話しましたが、「すんごい」には二つの意味があります。一つは、「すごい」を、青森弁でなまって言うと、「す・ん・ご・い」となります。というのも、わたしは青森県むつ市出身ですから。そして、もう一つの意味は、「かなり、すごい!もう神業!」っという強調する意味を込めて、「す・ん・ご・い」と言います。いやあ、イエスさまってホント、すんごいですねえ〜♪

ジョーみなさんは、漫画「あしたのジョー」をご存知ですか?ちばてつやさんが書いた名作で、TVアニメや映画化にもなりました。

こんなストーリーです..。

ある日ふらりとドヤ街に流れついた15歳の少年「矢吹丈(やぶきじょう)」が、ちんぴらを相手に大暴れ。そこに偶然居合わせたのが、ご存知、片目の男・丹下段平

段平は、ジョーの中に天性のボクサーとしての素質を見い出します。そして、段平はジョーをボクサーにするために、「おれと一緒に手を組んで、一旗あげねえか?」と話を持ちかけたのです。

でも、

非行の限りを尽くした、ジョーはとうとう少年院に送られることになりました。 すると面会も差し入れもできないジョーの元へ、段平は執念で一枚の葉書をジョーに送ります

その葉書にはこう書いていました。

あしたのために(その一)
=ジャブ=

攻撃の突破口をひらくため
あるいは敵の出足を
とめるため
左パンチを
こきざみに打つこと

このさい ひじを
左わきの下から...

なぜか、いきなり始まった段平による、ボクシング通信教育

ボクシングジョーは少年院に入ってくるなり脱走を企てたのですが、逃げようとした彼を、元6回戦ボクサーだった力石徹が、あっけなく倒してしまうのです。それからジョーは、打倒力石を目指しボクシングにのめり込んでいきます。

ハガキを見ながら、ひそかに練習し、メキメキと強くなっていくジョーは言いました。

 『おれは生まれてこのかた
 学校ってものにぜんぜん通ったことがなかった
 だから人にものを教えてもらって
 今までできなかったことが
 できるようになるなんて経験ははじめてさ』



その後、少年院を出てプロデビューしたジョ−は連戦連勝で大勝利収めながら、宿命のライバル、力石との対戦するのです。

ドヤ街で、ケンカばかりしていた不良少年ジョーが、特等少年院を出て、プロのボクサーとして大成功を収めました。


みなさんも気づいたと思いますが、ジョーのサクセスストーリーの鍵となった人物が、ボクシングのコーチをした丹下段平です。

この元ボクサーの飲んだくれオヤジ段平は、自分の果たせなかった夢をジョーに託して、

ボクサーに育てようと熱心に面倒を見ます

どちらかというと、ボクシングの天性はジョーの方が上なのですが、コーチ段平は、破天荒なジョーの性格を導き、やる気を起させるのがとにかく上手だったのです。

ネイティブ・コーチ世の中には色々な分野に、潜在的に優秀なコーチが存在します。彼らは特別能力があったり、教えるのが上手というよりは、人のやる気を高め、才能を目覚めさせることが上手なのです。

このようなコーチと会話をしているだけで、大きな「気づき」や「アイディアのひらめき」が与えられるのです。目的を絞って、集中して深く考えることができます。

彼らは「コーチとは何か?」を学校で学んだわけでもないのに、自然に身についていて実行しているのです。こういう人たちはネイティブ・コーチと呼ばれているそうです。

会話をしているだけで、「気づき」や「ひらめき」が与えられて、やる気が出てくる。本来もっている才能が引き出される。

実はイエスさまも、弟子や群集にとってネイティブ・コーチでした。イエスさまとの対話を通して、大勢の人たちが、「気づき」と「ひらめき」を与えられ、神さまに大いに用いられる働きをしたのです。

(さらに、つづく)

2006年08月03日

すんごい質問力5

キリストのすんごい質問力から学ぶ、対話のルール5

gakusei.jpg「みんなから認められたい。尊敬されたい。」..。誰もが少なからず持っている思いではないでしょうか。わたしとかは学生時代は、「いかに自分が周りの人たちよりも知識が豊富か」を見せびらかしたい願望が強くありました。

中学・高校時代は、クラスの人気者といえば「面白い人」でした。ですから、とにかく、クラスで面白いギャグやジョークでみんなを笑いの渦に巻き込んで、「自分にいつも注目して欲しい。自分がいつもクラスの中心でありたい!」と、家に帰ってお笑い番組を色々見ながら「笑いのセンス」に研鑽を積んでいました。

でも、自分が言おうとしていたジョークを誰かに先に言われたり、自分が言ったことより友達のギャグの方がウケたりすると、悔しくて悔しくてたまらないという性格だったのです。今から考えると、それ自体が「お笑い」なのですが。。。

それだけではなく自分が知らないことを、周りの人たちが知っている、というだけでとても悔しがる正確でした。友達との会話の中で、一つのテーマが話題で出てくると、「ああ、あれね。」と自慢げに自分が持てる限りの知識を語り、とにかく、まくしたてるように話し、他の人たちに話すスキを与えない。というようなイヤ性格の持ち主だったのです。今は、ボーっとしてることのほうが多くなりましたが。。。

その中で、わたしが一番よくしがちな失敗は「知ったかぶり」です。本当は知らないのに、自分の立場を守るために「ああ、あれね。」とついつい知ってるフリをしてその場をやり過ごすことってあるんです。

特に牧師になってから、信徒の方に、「先生、聖書はマルコの福音書は“かくかく”ですが、マタイの福音書は“しかじか”なんですよね?」と不意を突いてに聞かれると。「牧師が知らないというのもマズイかな。」と、つい格好をつけて「え..。ええ、そ、そうなんですよ。」とあいまいな返事をしてしまうこともあって、よく後で反省します。ですから、知らないときは、「知らないから、教えて」と、素直に聞ける自分になりたいといつも思わされるのです。

イエスさまは決して、「知ったかぶり」はしませんでした。でも、神の御子ですから、「全てご存知なのです」。

ある日、律法の専門家が、イエスさまを試そうとやってきて質問をしました。

「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」(ルカ10:25)

イエスさまは、「律法の完成者」ですから、そんな質問の答えなんて笑っちゃうぐらい簡単です。でも、イエスさまはすぐには答えず、「知っていても、知らないふり」をしたのです。

イエスさまは、逆に質問しました。

「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」

彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」

すると、イエスさまは答えた彼に、このようにアドバイスをしたのです。

「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」(ルカ10:26-28)

イエスさまは、質問をされて、すかさずにサッソウとかっこよく答えて、「さすが、イエスさま!」と認められようなんて気持ちはひとかけらもありませんでした。

イエスさまは知らないふりをして、その律法の専門家に「答え」について深く考える時間を与えたのです「うーん、いい質問だねえ。、そうだなあ。」と一緒に考えてみよっか、という雰囲気をつくってところで、あなたはどう考えているの??」と質問したのです。

kangaeru.jpgこの律法の専門家は、最初はイエスさまを試そうという間違った動機で質問したのに、最後には「そうだよな、神さまを心を尽くして愛して、隣人を自分のように愛するって大切だよなあ。ちょっと真剣にそんな人生を歩んでいこうかな!」と、かなりポジティブに変えられて、喜んで帰っていったのかもしれませんね。

 

イエスさまの質問力

それは、知ったかぶりをせず、知ってても知らないフリをしながら、相手にもっと深く考えるキッカケを与える対話の力なのです。

 

ナビゲーター:心のパテシエ♪角本尚彦


(C)2006 Naohiko Kakumoto. All rights reserved. 無断での引用・転載を禁じます<m(_ _)m>

2006年07月31日

すんごい質問力4

キリストのすんごい質問力から学ぶ、対話のルール4

沈黙2学校のクラスの休み時間に、みんな思い思いのクラスメートとおしゃべり。教室の中はものすごいざわめきだ。すると、ぺちゃくちゃしゃべっている一人一人が、チョットひと呼吸おいて沈黙したタイミングが偶然にも(奇跡的に)みんな一緒になって、突然水を打ったように「シーーーーーーーン!!!」とした瞬間がありました。そして次の瞬間みんな大爆笑!という、どうでもいい思い出があります。

それが少人数であっても、グループで誰かと話しているときに、突然襲ってくる沈黙の瞬間ってありますよね。「次は何はなそうかなあ」と考えていると、相手も黙ってしまう。何とか、この気まずい間をとりもたねば、とお互いにあせって次の話題を考えれば考えるほど、何も浮かんでこずにさらに「シーーーーン!!!」と沈黙が続くときって、みなさんはどうしていますか?

わたしとかは、昔から「沈黙恐怖症(そんな大げさなもんではないですが)」で、周囲がシーーーンと静まり返ればかえるほどに「何か話をせねば」「この場を盛り上げなければ」と、ついつい余計に上ずった声でしゃべる続けるタイプです。おそらく、元吉本の芸人の父親からの遺伝子の影響かと思われますが。。。。

一対一で、会話をしているときは、なおさら沈黙はプレッシャーに感じるものです。ついつい、こちらの思っていることをまくし立てるように息継ぎの暇もないぐらいマシンガントークをしてしまったり、

相手に何か喋る機会をつくってあげようとうおせっかいで、まるで裁判の検察官のように、ついつい質問攻めにしてしまうこともあります。

 

イエスさまを裁判で死刑にしようとたくらんだ祭司長や律法学者は、イエスさまを捕まえて大祭司のところへ連れて行きました。祭司長たちと最高法院の全員がいる前で、死刑にするため多くの者が偽りの証言をしました。ひどい!かわいそう!

そこで、大祭司は立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」(マルコ福音書14:60)

イエスさまはあれだけ不利の証言をされているのにもかかわらず、沈黙していました。また、大祭司が質問しても何も答えません。

そのイエスさまの姿を見て大祭司は不思議に思いました。そして、「なぜ、この男は黙っているのか???もしかしたら、本当にメシアなのかな???」と考え出したかもしれません。

ピラト裁判最高法院みんなで相談して、夜が明けてから、イエスさまを総督ピラトのところへ縛って連れて行きました。

 ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問しても、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言い、ピラトの質問には答えませんでした。それどころか、祭司長たちが色々と偽りの証言で訴えているのに、イエスさまは沈黙を守っていたのです。

ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」 しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。(マルコ福音書15:2-5)

ピラトは、このイエスの沈黙を通してイエスさまと向き合い、目と目を合わせて本当の対話をしたのです。ピラトは一生懸命考え、言葉を捜しながら、イエスに聞きました。

「真理とは何か!?」

そのことを自分に問いかけながらピラトは自分の中から答えを見い出そうと頑張りました。最終的に、ピラトは「わたしはこの方には何の罪を見い出すことができない。」と判断し、なんとか釈放しようと最期まで全力を尽くしました。イエスさまとの真実の対話が、ピラトの心を突き動かしたのです。

沈黙あなたが周囲の人たちともつ会話のなかには沈黙はあるでしょう。

そこで、チョットじっくりと待ってみてください。相手の方はあなたと同様に、まだ考えている最中かもしれません。あなたの質問に対する答えに思いをめぐらしているのかもしれません。心に浮かんだことを、心で整理しているのかもしれません。あるいは言っていいものかどうかと迷っているのかもしれません。それとも、あなたからの「別な視点からの質問」に驚き、自分の中から答えを見いだそうと一生懸命に考えている最中なのかもしれません。

ですから、沈黙を一緒に共有しながら、もしあなたが考え中の時は「ごめん、今考えているから、もう少し時間をくれる?」と聞いてみたり、「どうぞ、あせらずにゆっくり時間かけて考えてみて。こっちも時間はまだ十分にあるから。」というようにお互い言える関係だったら素晴らしいですね。

イエスさまの質問力

それは、沈黙することで

「あなたはどう思っているんですか?」
「あなたの言っていることは本当の正直な思いですか?」

質問をしていたのです。沈黙から本当の対話が生まれました。

ナビゲーター:心のパテシエ♪角本尚彦

 

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2006年07月30日

すんごい質問力3

イエスさまのすんごい質問力から学ぶ、対話のルール3

 

驚き家族コレを書き始めてから早速質問された。

「“す・ん・ご・い”ってどういう意味ですか?」

。。。。。。って。えぇ!?わからない?

っということで、教えましょう。

実は、「すんごい」には二つの意味があります

一つは、「すんごい」は「すごい」をもっと強調した言い方です。つまり、イエスさまの質問は、その辺の人たちがする質問とはちょっと一味違っていた。イエスさまの質問で、弟子たちや群集に大きな「気づき」が与えられた。だから、イエスさまの質問力って半端じゃなく「す・ん・ご・い」んだよ!っという思いを込めての「すんごい」。

二つ目は、実は「すんごい」は青森弁なんです。わたくしは青森の下北半島はむつ市出身の田舎者で(むつ市出身の方はごめんなさい)、日常会話で普通に「やんや〜はあは、すんごいね〜」と使います。もちろん意味は「すごい」なんですが、強調はしてません。あしからず。

とにかく、イエスさまの対話で使われる質問力は神業だ!あなたの人生に変革を起す力がある程に「す・ん・ご・い」んだー!という意味なんです。

ナビゲーター:心のパテシエ♪角本尚彦

(C)2006 Naohiko Kakumoto. All rights reserved. 無断での引用・転載を禁じます<m(_ _)m>

2006年07月29日

すんごい質問力2

イエスさまのすんごい質問力から学ぶ、対話のルール2

質問ものすごく忙しくて仕事に集中している時って、人から話しかけられるのがとても煩わしく感じるときってありますよね。誰かがあなたに用事があって話しかけているのに、見ているTVや読んでいる新聞に書類から目を離さずに、「うん...。そうだね...。わかった...。」と、生返事してしまうときって結構よくあるでしょう。

逆に、あなたがとても大切な用件で話しかけたのに、上司が書類やパソコンに目を向けたまま上の空で「うん...。そうだね...。わかった...」、なんてホントに聞いているかどうかもわからないような返事をされたら、不安や怒りがわいてくるでしょう。

ある日わたしが妻に、「近所のコンビニの○ーソンが、土用の丑の日の『うなぎの蒲焼重』(1550円)の予約件数が日本一になったって、貼り紙してたよー!」っと、興奮気味に言ったら、「ふーん...。」
目は遠くを泳いでいて、あきらかに聞いてない...。「まあいいや」と思ってあきらめたら、20秒後ぐらいに「うなぎが...にほん...いち...。日・本・一ってぇ!ええ!ホントー!?」って、反応が遅過ぎです。

イエスさまと弟子たちは、町や村を歩き回って伝道活動に忙しく働いていました。

イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。(マルコ6:31)

あまりに忙しかったので、「チョット休憩を取ろう」と、人がいない場所へと船で弟子たちといったん避難したのです。

ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。(マルコ6:33 )

大勢の人たちが、「イエスさまに会いたい!色々と相談したい!」と追いかけてきていました。そして、先回りしてイエスさまが現れるであろう場所で待ち構えていたのです。ちょうど来日したぺ・ヨンジュンのファンが大勢成田空港で待ち構えていたように..。

舟が到着したとき、イエスさまは忙しさのあまり、彼らに生返事をしてつれない態度をとったのでしょうか?

イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。(マルコ6:34)

忙しくてどんなに疲れていたとしても、イエスさまは、大勢の群集を「見た」と、聖書には書いています。イエスさまはどのような状況にあっても、対話する人々に向き合って、深い憐れみをもって、前向きな姿勢で、語るべきことをしっかりと教えたのです。

つまり、あなたが人と対話をするとき、「詰問や、尋問」などをして攻撃的になったり、忙しいという理由で消極的で中途半端な態度はとるべきではありません。

イエスさまの「対話」は

いつも話し相手と向き合い、相手の立場に立って、心を尽くして語り合う対話なのです。

あなたは今日、どのような姿勢で対話をしていますか?

どんなに忙しくても、誰かが話しかけてきたときは作業を一時中断して心を向けることができるなら、本当のコミュニケーションは生まれるのですネ。

ナビゲーター:心のパテシエ♪角本尚彦

(C)2006 Naohiko Kakumoto. All rights reserved. 無断での引用・転載を禁じます<m(_ _)m>

2006年07月28日

すんごい質問力1

〜イエスさまのすんごい質問力から学ぶ、対話のルール〜

私たちは誰かに質問するとき、「なぜ?」「どうして?」という言葉を良く使います。好奇心旺盛な子どもが大人に質問するときに「なぜ、口笛は遠くまで聞こえるの?」「どうして、あの雲は私を待っているの?」とアルプスの少女ハイジのように一日中聞きまくります。そして、時にはあまりにも鋭い質問に答えに窮することも。。。

好奇心とは別に、私たち大人は「質問」を通して自分の不満や怒りを人にぶつけるときがあります。「なぜ、約束の時間を守らないんだ?」
「どうして、そんな簡単なこともできないんだ?ちゃんと教えただろう!」
「なぜ、私がそんなことまでしなくちゃいけないんだ?これはお前の仕事だろ?」
「どうして、そんな不満な顔をしているんだ?私のせいじゃないだろ。」

まるで、TVドラマで刑事が机を叩きながら、「お前がやったんだろ!?」と凄んでいるシチュエーションを思わせられることが、日常の会話で良くありますよね?最初はカツどんとか注文して、食べさせて心開かせて、やんわり「質問」。そして、じわりじわりと詰問へ。それでも白状しないなら、力づくで尋問するという例のパターン。

これらの質問は、「詰問(きつもん)」とか、「尋問(じんもん)」と呼びます。質問することによって、相手の弱い部分、足りない部分、欠けている部分、サポートが必要な部分を攻撃し、反省させてやれ!という愛のない心が見え隠れしています。これは質問にネガティブな用い方です。実は、私たちも人と対話するときに、相手に非を認めさせて反省させようとして、いつの間にやら「質問」が「詰問・尋問」になってしまうことってあるんです。

イエスさまは群集や弟子たちに質問しました。
「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。」(マタイ福音書6:28)

イエスさまは「なぜ、思い悩むのか!?だめだろ!」「どうして、そんなくだらないことで悩むのか!?」と詰問はしませんでした。

イエスさまは彼らに悩まなくてもいい理由を“気づかせるために”質問しました。
「なぜあなたは、衣服のことで思い悩むのですか?」
「どのようにしたら、悩む必要がないということがわかるでしょう?あなたはどう思いますか?(沈黙)では、あなたにヒントをあげましょう。そこの野の花を注意して見てごらんなさい..。」

「 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」(マタイ6:29-30)

イエスさまの質問を通して、彼らは大きな気づきを与えられたのです。
「そうだ、野の花でさえ、このように着飾らせてくださる神さまは、それ以上に私を愛して、日々養ってくださっているんだ!」
その発見が、自らの考えと行動を改善する大きな意欲へとつながったのです。

質問すべきは、「なぜ、どうして?」ではありません。それは「詰問・尋問」になってしまうネガティブな可能性を持っているからです。そのような質問は相手を萎縮させてしまうだけで、とてもじゃないけど新しい気づきや発見をする意欲はそがれてしまいます。

イエスさまは「どのようにしたら、悩まなくて良いか?」という気づきとヒントを与える目的で質問したのです。

イエスさまの質問力。

それは、相手の非を問いただして反省させることではなく、

気づきを与えて新しい解決策考えさせる意欲を与える力なのです。

ナビゲーター:心のパテシエ♪角本尚彦

 

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